2018/06/13

死後の世界ってあるの?ないの?(リメイク版)

人から私が、「死後の世界ってあるの?ないの?」と聞かれたら、まずは「分からない。」と答えるでしょう。
科学的に証明できることではないし、私自身も、幽界か霊界にいる本体の一部が再生して生まれてきたと言っても、全く記憶がないし、直接霊魂と話ができるわけではないので、実体験としてもそれを人に語ることができないからです。
死後の世界はあるか、ないか、二つに一つしか真実はありません。
そして、それが科学的に証明できるものではない以上、あとは、個人個人があると信じるか、信じないかの二つに一つを選択するしかないのです。
もちろん、分からないという感覚もあるでしょうが、分からないけどなんとなくあると思う、あるいはないと言い切れないけれどもないと思う、そんな風に分かれるでしょう。
私個人としては、もちろんあると思っています。
それは、信じるとか確信とかいった感覚ではなく、普通にあることを知っているという感覚です。

理由は簡単で、契山館に入る前のある日、人間にとって死後の世界が普通に住む世界であって、今の住んでいる物質の世界は本来の住処ではないということを、思い出したからです。
正確に申し上げれば、ある日、何かの拍子に、そのことを思い出したという感覚が私の全身を走ったという表現が正しいでしょう。
だから、信じているという感覚よりも、普通に知っているという感覚の方が私にとっては自然です。
これは、あくまでも個人の話ですし、なぜそのように感じたかのか理由は全く分かりません。そう感じてしまったので、そう感じたとしか申し上げようがないのです。

さて、皆さん、あなたにとって、死後の世界はあるか、ないかどちらでしょうか。
それぞれの説に対して強い思い入れがある方もおられるでしょうし、そんなことわかるはずないだろうという方も多いのではないかと思います。

あるか、ないか二つに一つとした場合、ないというのが事実だとするとどうなるでしょうか。
死んだら、全ての存在が消滅します。
それならば、生きている間に欲望のままに好きなことを全てやるんだと思われる方も多いかもしれません。
ところが、人間の物質的な欲望というのは、どこまでいっても完全に満たされることはありません。
中国の皇帝で、全ての欲望を満たそうとして満たされず、最後に不死を求めた人がいますが、それは絶対に不可能です。
不老不死が不可能であること自体は、ほとんどの方が肯定されるでしょう。
すると、ないということが事実だとして、人が、欲望の限りを尽くしても、幸せになれるとは限りませんし、良い人生が送れるとも限らないわけです。

ないことが事実であるのに、自分自身があると思ったとしても、人生にどんなリスクがあると言えるのでしょうか。
思ったとおりなかったとしても、幸せになれる保障など何もないのですから、あると間違った判断をしても、そのことにより必ず不幸になるということもないはずです。
逆に、実際にあるのに、ないと思って、死後の世界 に対する準備を一切しなかったら、とりかえしのつかないリスクを負うことになります。

例えば、霊魂学の内容が全て事実だとしたら、どうなるでしょうか。
霊的トレーニングを行わないのですから、今の世の中であれば、ほぼ間違いなく幽体はぼろぼろになり、守護霊や指導霊との交流もほとんどありませんから、死後、法則に従って下層幽界にいくことになるでしょう。
詳細については、わかりやすい霊魂学や霊魂イエスを読んで頂くこととして、一言で申し上げれば、そこには、この物質世界とは比較にならないほどの不幸が待っています。
このようにあることが真実であるのに、ないと思ってしまうと大きなリスクがあるのです。

では、あると直感で判断し、契山館の会員となり、霊魂学を学び、霊的トレーニングを実践し、日々の生活における修行を行ったのに、実際にはなかったらどのようなリスクがあるのでしょうか。
実費程度の年間の会費と合宿の参加費を払い、パソコンのゲームをしたり、暇つぶしにテレビを見たり、憂さ晴らしの酒を飲む時間が少しばかり削られて、その分の時間を霊的集会への参加や霊的トレーニングに使うことになるでしょう。
リスクと言えば、以上のことくらいでしょうか。

遊びや趣味、人によっては睡眠かもしれませんが、それらに使う時間やお金が削られるというリスクは確かにありますが、それは莫大なものではありません。
少しだけそれらを削って、霊的な活動に使うだけのことです。
そして、自分にとっては必要ないと判断した瞬間にそれらを全て止めることも出来るのです。
ないと仮定した場合の莫大なリスクとあると仮定した場合の少しばかりのリスク。
あなたの感性は、そして自由意思はどちらを選びますか。

大切なことは唯ひとつ・・・・・。

以上が昔の文章です。

それが真実であるかないか。
この判断は地上の普通の生活においても難しいものです。
だから人は間違うわけです。

しかし、これが修行者であった場合、どうでしょうか。
間違えたら修正してまた進めば良いが指導霊のお言葉であり、個人的には師からアドバイスを頂いたこともあります。

ところが、もし決定的に間違えてはいけないことを間違えてしまったらどうなるでしょうか?
私には分かりません。
そもそも決定的な場面などあるのでしょうか。

あると思います。
ラ・ムー師の時がそうでした。
イエス師の時もそうでした。
今度こそ終末と言われている今回はどうでしょうか。
会の指導霊団の最後の最後の一手をまさか見過ごしてしまうということはないのでしょうか。
最後の最後の最重要問題を見抜けないということはないでしょうか。
それがもし偽物だったとしても正しい霊的活動を活発化したことになんの問題があるでしょうか。
むしろプラス。
死後の世界の話と同じです。
それでは、それが本物だったとしたらどうなるでしょうか。
言葉にすることさえはばかれます。

死後の世界があるかないかという話と全く同じであるのに、、、、、、。

ということで霊的な世界はいろいろとありますが、死後の世界はありますので、それに備えて幽体を鍛えましょう。

7月の支部集会でお待ちしております。

おはこ

コメント

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No title

死後の世界は確実にあるでしょうね~。
科学しか信じない方が多いですが、「ダークエネルギー」や「二重スリット実験」と検索すれば、今の科学では分からない事が多過ぎると分かると思います。
確実に死後の世界は存在しますし、上下もあり、下に入ってしまった人はほぼ永遠に苦しむ事になります。
そして、コレを伝える事が出来るのは僕らしかいないので頑張って行きましょう~!(*≧∇≦)b

No title

霊的なものは見たり聞いたりできないので確かに水波霊魂学を信じるか信じないかの議論が生ずるのは致し方ないとは思います。
しかし、死後の世界については大昔から世界中であることを前提にして文化が継承されてきており、それを全て完全に否定する根拠がないのにないとするのは科学的ではないのです。
あることは科学的に証明できないのですが、ないという根拠など科学的にはないのです。
そもそも科学で証明されていないことなど山ほどあるのですから。