神山

正月は、初詣に出かけられた方も多いかと思います。
新しい年を迎えて改まった気持ちで、神社の境内を歩くと清々しい気持ちがしますので、
今も昔も多くの人が参拝されているのでしょう。

家からほど近いところに、古い歴史を持ち、
本殿の裏の山を御神体とする神社があります。
若い頃から度々訪れていた神社でしたので、
今年の正月は、一度参拝登山をしてみようと思いました。

入山に際しては、敬虔な気持ちでの登拝をするように、
など幾つかの心得を宮司より伝えられます。
登山者の中には、山そのものが御神体とされているので、
土足で踏みつけるのは畏れ多いと、冬の寒い山道を裸足で歩く人もいて、
現代に息づく信仰登山の姿に感心しました。


高低差300メートルほどの小さな山ながら、
正月のすっかりなまっていた体には、なかなか大変な運動でした。
それでも山頂が近づくにつれて、気温がぐっと低くなり、しんと静まりかえった空間が開けてきて、
どこか凛とした張り詰めた空気が満ちているような厳かな感じがしました。

そこは磐座と呼ばれる場所であり、
水波霊魂学によると、古代の日本の神職は、磐座のような大きな岩を、
地上に高級な幽気を降ろすための目印として、利用したこともあったようです。
そして、降ろした高級な幽気を、山の麓の神社に流して、
参拝する人々に霊的な活力を与えていた歴史があったようです。


つまり、磐座とは本来であれば、常に高貴な存在の目印になるような、
神聖に保たれた場所でなければならないのですが、
その日は正月三賀日が明けてすぐということもあり、
数百人の人が山に入り、中にはハイキングや観光気分で雑談を交わしながら登る人など、
雑多な人々の往来で、神聖さは薄れているように感じました。

そして、自分自身それを知りながら登ってしまったことを恥じました。
願わくは、ご神職の方が、人々の雑多な幽気も日々祓い清めて、
今も登拝する人々に高い幽気が降りるような環境を保っておられることを願います。


山岳信仰のルーツとされる、役行者を始めとして、
多くの宗教的な達人は山岳にて修行をしたと伝えられています。
その頃の日本には、峻厳な山々は人跡もなく、神聖そのものでした。

達人たちは、何かに導かれるように、
地上で苦しむ人々を救いたい一心で山を目指して、
そこで山々に降りられる高貴な存在と交流し、強力な霊力を得たのでしょう。

本来であれば、そうした霊的な強い力は、
人々を救うために降ろされるのであって、
ただ自分自身が救われたいとの気持ちを抱えた多くの人々が、
神聖な場所を目指すのは、やはり間違っているのではないかと思います。


日本には、神山と呼ばれる富士があります。
そこには、実在の神霊が直接降りられた歴史もあったようです。
今、富士は世界自然遺産に登録されて、目に見えるゴミだけでなく、
さまざまな雑多な人々の幽気により穢されてしまっています。
それでも、高貴な存在は、
今も富士に、そして富士を求める人々に、力をかけておられます。


今、真剣に神を求める人たちに呼びかけます。
富士を求めてください。
そこには、人にとって真の救いがあります。
富士の力は、今地上にあります。
それが人々のものとなるよう契山館では、懸命に活動する人々が集っています。
日本の真の宝を守り、そして世界の宝となるよう力を合わせることができれば幸いです。

投稿者:道

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